竿と銛を担いで歩いた日々

1980年代生まれの底辺系釣りバカが、釣りと魚突きの思い出を綴るブログ。思い出した事を書きなぐっています。

少年は源流を目指す【川釣り】

俺の実家がある所は、山の麓の町で上流域に当たる為、大きな川は少ない。

なのでフナやナマズといった中流域の魚はいないが、一方でヤマメやイワナといった渓流魚も少ないという、何とも中途半端なエリアだった。

川で獲れる魚はハヤとドジョウばかりである。

 

そんなエリアで育つ小学生の頃の俺たちは、

「ずっと川を上っていけば、綺麗で魚が沢山釣れるパラダイスにたどり着ける」

と信じていた。

一種の信仰にも近いその思い込みは、俺たちに度重なる楽園探しの遠征を強いるのだった。

 

遠征の方法はシンプルで、サンダルや長靴を履いてひたすら川の中をザブザブと遡上するだけである。

 

装備はサバイバルナイフ、釣り糸、錘、ハリ、PPロープの先に石を括り付けたもの。

嵩張るので釣り竿は持たず、餌も現地調達。最低限の装備のみ持って行く。

石つきPPロープは、忍者のカギ縄を参考に作ったアイテムで、木の枝等に投げて括り付けロープを使って上り下りする為のものだが、高い所に一度括りつけると回収が極めて困難だという致命的な欠陥を持っていたのでほとんど使われる事は無かった。

 

流れに逆らってひたすら川を上っていくと、段差(落差工というらしい。俺たちは滝と呼んでいた)にぶち当たる。

 

ここで俺たちは、体重が軽い奴がデブな奴(俺www)の肩に足を掛け段差の上に上り、後は先に上がった奴がデブが上に上がるのを腕を引っ張りアシストするという忍者のような技を使い段差を乗り越えていた。

 

水深が深すぎたり、流れが速すぎる所は、同じ技を使って川岸へ登り、迂回もしながら源流を目指していく。

 

川にはびっくりするぐらいゴミが落ちている。

自転車や電子レンジは当たり前で、冷蔵庫なんかが転がっている事もあった。

粗大ゴミを出すのが面倒くさい奴が、台風の大水で文字通り「水に流そう」と投棄するのである。

 

そんな段差だのゴミだのを乗り越えて、川を遡上していっても大部分の遠征は殆どが徒労に終わる。

まず、小学生の足では源流までたどり着ける事が殆ど無かった。

現在のようにGoogleマップなんて便利なものは無いので、例えば川が住宅街に入ったりして遡上できなくなればそれで終わりである。

 

運良く源流まで遡上出来ても、源流域というのは呆気ないものばかりで、ただの側溝から水が湧きだしていたり、よく分からない水溜まりがあるだけだった。

 

それなりにヤマメ等の渓流魚が釣れるポイントを見つける事はあったが、それは常に源流では無く、住宅街から少し遡上したような田んぼの中の流れる川だったりした。

 

何が俺たちを源流に駆り立てたのか?

 

今更ながら考えてみると、おそらく社会科の授業で学んだ「柿田川湧水」のイメージだと思う。

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出典:http://www.town.shimizu.shizuoka.jp/koho/koho_photo00004.html

 

先生は言っていた。

柿田川はめちゃくちゃ綺麗な川で、手ですくってゴクゴクと水が飲める。水草が咲き誇る水底には鮎が乱舞している。」

 

俺は手を挙げて質問した。

「魚釣りは出来ますか?」

 

先生は答えた。

「釣りとか採取は禁止だけど、タモ網でいくらでも掬えるくらい、うじゃうじゃ鮎がいるから釣りなんてやるのが馬鹿らしくなるくらいだ。」

 

長じた今なら、この先生が子供相手に相当フカしている事は分かる。

どれだけ鮎がいようがタモ網でそうそう簡単に掬える訳ないだろ!!

 

兎にも角にも、こうして俺たちには「湧水=水が綺麗で魚がうじゃうじゃいるパラダイス」のイメージが植え付けられたのだった。

 

この源流信仰は、影を潜めながらも何だかんだいって俺の大学時代くらいまでは影響を与えたと思う。

(つまり大学生になっても源流に向かって川を遡上していたのだ)

 

教育とは恐ろしい。

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